将棋の棋譜には著作権は存在するのか?

将棋の棋譜には著作権は存在するのか?に関してツイートしたことをまとめておきます。このへんの問題、わりとコンピューター将棋の開発上、重要になってくるケースがあるように思います。

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将棋の棋譜には著作権は存在するのか?” への28件のコメント

  1. 有料で提供されている棋譜に関して、
    一人の弁護士は「棋譜自体に著作権はないが、付随する解説やコメントには発生する」としていました。
    https://www.bengo4.com/houmu/17/1263/b_383492/

    囲碁の話になりますが、
    別の二人の弁護士も棋譜には著作権は発生しないのではないかと回答しています。
    https://www.bengo4.com/houmu/17/1263/b_63451/
    https://www.bengo4.com/houmu/17/1263/b_398934/

    あくまで個人の回答であり数も少なく端的ではありますが、
    専門家の見解であるのは確かなのでここに紹介します。

    • 付随するコメントや解説には当然著作権が発生します。これを発生しないと言う弁護士はいないと思います。

      囲碁のほうは、まあ、日本棋院のほうも顧問弁護士に相談した上で「著作権は発生する」と発表しているのでしょうから、結局、これは弁護士によって解釈の分かれるタイプの問題と言えそうで、裁判に判例が出来るまでは何とも判断出来ないかなと思います。

      • スポーツの試合経過には著作権が生じないと解されてますので、
        それと類似と考えると生じない方向かと。
        これは表現というより出来事ととらえてるんですかね。するとプロレスや相撲は著作権が生じるのかもしれませんが。

        著作権はアイデアそのものではなくて上っ面の表現を保護する制度ですので、その点でも機械的に書き下ろした棋譜には生じない方向かなあ。

        他人の研究成果の丸パクリ防止は、不正競争防止法の方がスジがいいと思います。

      • > 囲碁のほうは、まあ、日本棋院のほうも顧問弁護士に相談した上で「著作権は発生する」と発表している

        これはやねさんが弁護士に期待し過ぎというか、弁護士は別に法に照らして正解を落とすのが仕事ではなくて、いかにクライアントの期待に沿う回答を答申するかが仕事なので……。

        ですから「裁判例がない以上は著作権を堂々と主張しろ」というのは間違ったアドバイスではありません。
        もちろん「裁判になったらどうなるかわかりませんよ、勝てる公算は少ないですよ」と言った上で、ですが。

        その上で「でも普通裁判にはならないし、訴訟外で手打ちになりますよ」と補足して、その上で「裁判にならないうちは堂々と権利を主張しまくればいいのです」というのはひとつの見識ではあります。

        要は、棋譜を利用する側が権利があると主張する側に対して気を使い過ぎなんですよ。
        こういうの、福井健策先生は大嫌いなようで、彼が担当した三文オペラに関する事件についてコラムを書いています。
        http://www.kottolaw.com/column/001175.html

        この件に関していえば、「日本棋院が何を言おうが、裁判所で白黒つけよう」と言って堂々と棋譜を使うのが正しい態度ですね。
        私の考えですが、まず訴訟になんかなりません。
        自爆する可能性高いんですから。

        ちなみに、棋譜を利用する側が権利の非侵害を確認するために日本棋院を「債務不存在確認訴訟」で訴えることもできます。
        できますが、これをわざわざする価値はないかなあと。

  2. 著作権、特に音楽、画像、映像関係の権利の泥臭さを見ていると、「食料を生産していない寄生人が何言ってやがる、著作権どころか人権を認めて欲しかったらマグロ漁船にでも乗ってマグロを提げて帰ってきてから言え」とか言いたくなることもあるw

  3. 「▲76歩△84歩……」という一般的な棋譜の書き方に創作性があるとはいえないと思います。
    これが例えば、「先手は菜の花に集う蝶が舞うような手つきで7筋の歩を掴み、ふわっと角道を開けた。後手は飛車先の歩をぐいっと進めた……」というように書いてあれば、創作性があると思います。

    しかし、後者の場合でも、指し手そのものは表現ではなくアイデアなので、「指し手そのもの」は著作物ではないと思います。

    つまり、現状では、棋譜にも指し手にも著作権はないと思います。

      • コンピューターの指し振る舞いを「思想」とする解釈は、法的に通用せんでしょう
        そこに知能はあるのかもしれないが、人格はない
        そのようなものに法は関与しないと思われ

          • いくらなんでも30年近く前の会議の結果を引用するのはいかがなものかと。
            やねさんから見たらこの辺の分野って30年間静的に見えるのかもしれませんがそんなことはないわけで。

            というわけで、知的財産戦略本部に寄る知的財産推進計画2016を。
            http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/chizaikeikaku20160509.pdf

            内容的にはともかく、問題意識としては当たり前ながら2016のほうが切実ではあります。

          • うおー。先の議論30年前のですか…。これは失礼しました。30年前からそういう議論って有ったんですね。最近HOTな話題だったのでよもや30年前だとは思いませんでした。

            そして最新の資料、ありがとうございます!

      • 必然手だとむしろ否定方向ですね。
        独自性創作性が無いので。

        最善手=必然手かは?

      • 著作権法が保護するのは、アイデアではなく、表現なのです。
        アイデアと表現の境界線を明確にすることはできませんが、以下のように考えるとわかりやすいかと思います。

        将棋の指し手は、料理の作り方と同様に考えることができます。
        料理の作り方そのものはアイデアなので、それがどんなに最善であったり独自性があったりしても、著作権法では保護されません。これは、理解してもらえると思います。
        次に、作り方を記した手順書は、文章や絵などに創作性(個性)があれば著作権が発生します。
        これを将棋に当てはめると、指し手そのものはアイデアなので、著作権法では保護されません。
        指し手を記した棋譜も、現状の一般的な書き方では誰が書いても同じになるので創作性がなく、著作権は発生しません。

        • 手順書を簡単に実行できるのであれば手順書通りに作られたものには著作権は発生しませんが、そこに馬鹿でかい計算資源を投与して始めて得られる結果だとしたら、それは著作物とみなされるべきでしょうね。人間にしても脳のニューロン同士の結合は数学的な行列として書き出せるでしょうけども(これが手順書に相当します)、それを実際に実行することによって脳が機能し、それによって行われた創作物には著作権が発生するのと同じ理屈で。

  4. 将棋の棋譜に著作権があるのかという件につき。その方面に詳しいわけではないけれど、棋譜は対戦する双方の棋士の共同作業であるのでまず連名の権利が発生することが一つ。そして多くの棋譜には先人の定石が使われていることが殆どでその場合、定石は恰も「コンピュータ将棋におけるライブラリを使用する」ようなものではないかしら?また、棋譜の中で新たな指し手は「先日の研究会で思いつきました」というようなこともよく聞くことが多いので、それってオープンソース開発に似てるんじゃね?と思ったり。で、そうするとその著作権って誰にある訳?と思ったりするし、棋譜使用はフェアユーズってことでいいんじゃないん?

  5. 著作権法は一般に
    ・「思想感情」を表したもの
    ・「表現したもの」であること
    ・「創作性」が認められるもの
    ・「~~に属するもの」
    とまぁ4つほどの要件に分解されて理解されますが、
    棋譜の場合おそらく「創作性」が問題になるかと思います。
    「表現者の何らかの個性が表れていれば足りる」とは言われていますが、将棋というゲームにどこまで表現方法の自由があるか、という点がかなりギリギリの線になるように思います。
    認められてもいいような気はしますが、どこまで権利主張できるかとなると、あまり強い主張はできないと思います。

    また、著作権が認められる場合には、著作者は対局者双方の共同著作ということになるでしょう。
    ソフトの棋譜や評価関数になりますと、プログラムに沿って計算した結果に過ぎず、思想感情を表したとは言えないので、少なくとも現行法上は著作権を主張することは困難でしょうね。

    • > プログラムに沿って計算した結果に過ぎず

      作曲方面とか、簡単なアルゴリズムに沿って楽曲を創作することがあると思いますけども、その場合もちゃんと著作権は発生するので、「計算した結果だから著作物ではない」とは言い切れないような。

      • 「簡単なアルゴリズムに沿って楽曲を創作すること」が何を指しているのかにもよります。
        ちょっと、どういうのを想定しているのかがわからないのですが、
        作曲ソフト等で「完全自動」で作曲した場合には、「思想感情の表現」「創作性」どちらも認められないでしょうし、
        これら要件を満たす程度の
        人の手の関与があるかどうかがポイントになってきます。
        最近の自動作曲の技術がどの程度になっているのかはちょっと詳しくないのですが、著作権が認められるというのは、単に相当程度人の手を入れているという話だと思われます。少なくとも現行の著作権を前提にする限りは、ですが。

        自動生成された棋譜にはほとんどの場合、人の手は入っていないと思いますので、これに「思想感情の表現」や「創作性」を認めることはきわめて困難です。
        評価関数の調整については、人力での調整を加えていけば著作物性は認められる可能性は出てきますが、
        単に機械学習した結果として出てきたものというだけではおそらく著作権は認められないだろう、ということです。

        • > 人の手の関与があるかどうかがポイントになってきます。

          完全に人の手だけによって、人が何らかのアルゴリズムに基づいて作曲した場合についてです。歴史的に見ると実際にそういう楽曲は世の中にたくさんありまして、そういう楽曲も著作物だと認められてきました。

          • あくまで理詰めで考えておられますが、そもそも著作権は、創作奨励の為に政策的に創設された、無くても構わない人工的な権利です。
            ぶっちゃけ著作権を認めない方が良いものには、認めないという結論があってそこの理由として創作性がないとかなんとでも言われうるものです。

            新しい創作の形態に著作権を主張するには、理論上の創作性の存在だけでなく、著作権を認めても弊害なくむしろ創作を奨励するのだという政策面の評価を補強するべきでしょう。

            アメリカで認められてるから良いだろうという主張は、社会実験が成されて実績あると読み替えれば重要な根拠となります。アメリカで失敗だったら逆効果ですが。

  6. はてブにも書いたのですが「手順のみの記録」と「一手ごとの消費時間が付記された棋譜」はわけて考えるべきだと思います。

    後者については,指し手の個性も感情も出ますし他の棋譜と大部分が一致することもないですし,「思想又は感情を創作的に表現したもの」の要件を十分に満たすのではないでしょうか。

    • 法的にどう解釈されるかは別として、消費時間もソフトにとってはそれが最適な時間配分になると思ってそこで指したにすぎないですけどね…。

  7. サイレントマジョリティーや、技巧最新版をDLした超コンピュータ将棋信者であると前置きしつつ一言。
    将棋の棋譜に著作権があるのではないか、という議論ですが、コンピュータ将棋はもともとプロ棋士の棋譜を使って機械学習していた訳ですから、少々危険なような・・・。

    • 棋譜に著作権があるとした場合、日本の法律ではこれを機械学習の入力として用いるのがfair useであるかどうかは不透明なところがありますね。このままでは機械学習の分野において日本は後進国になってしまいます…。

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