先日、電王戦FINALへの道の動画に「私の出身大学とその入試偏差値まで動画コメントに書かれている始末であります。」と書いたのですが、この入試偏差値が大幅に間違っているのでこの場をお借りしてこのコメントを書いた奴にお説教をさせていただく次第です。
まず、私の出身大学は、馬鹿田大学(仮)という三流大学ですが、それでも私が通っていた学科の入試偏差値は当時、阪大の一番偏差値の低い学科よりはいくぶん上でした。当然、いまは思いっきり逆転しています。
「阪大(の一番低い学科)より上?嘘つくなや!」といまの学生は言うかも知れません。
何故これが逆転するのかというと、少子化になって大学進学者数は減っていきますが、大学の定員数はさほど変わらないので、以前なら二流大学に進学していたぐらいの学力の人たちまでもが一流大学に入学できるようになります。
ほとんどの皆さんは、選べるなら就職で有利になるように少しでも偏差値の高い大学にしたいですよね?
そして、以前なら三流大学に進学していたぐらいの学力の人たちは、二流大学に入学できるようになります。
その結果、三流大学では受験者数が激減し、競争が甘くなります。三流大学の入学偏差値は恐ろしく下がります。そうすると入学偏差値が下がった結果、馬鹿大学呼ばわりされ、さらに入学志願者が減るという負のスパイラルに陥ります。
三流の私立大学の経営者たちのほとんどは25年ぐらい前、第二次ベビーブームの世代が高校生だったころにこのことまで見通していました。どの三流の私立大学もが、入試偏差値を徐々に上げて二流大学の仲間入りをしようとしたわけです。
三流の私立大学には附属高校からエスカレーター式に大学に進学できる高校がたくさんありましたが、附属から大学に上がってくる生徒は大学受験のために勉強していないので、一般入試で入ってくる生徒と比べると学力が低かったのです。私立大学の偏差値を上げるためには、エスカレーター式に進学してくる生徒は邪魔だったので、エスカレーター式に進学できる枠(人数)を減らしました。
今の御時世、このブログのような読者の多いサイトで具体的な大学名を出すと翌週ぐらいに大学の顧問弁護士から内容証明郵便が私の自宅に届きかねないので大学名を出すことは控えさせていただきます。興味があれば調べてみてください。
ともかく経営者視点で見ると、三流の私立大学がそうやって生き残りを賭けてもがき苦しんでいる間、ほとんどの三流の国立・公立大学は効果的な対策を打てないまま凋落していったのであります。(私の出身大学を含む)
あるレベル以上の人になると出身校の偏差値なんてそんなに意味がないような・・・20世紀最高の頭脳と称えられるアインシュタインもチューリッヒ連邦工科大学の受験に失敗していますからね。東京大学→スタンフォード大学の鳩山元総理大臣とか。
そのアインシュタインの話には、大変勇気づけられますね。
オタク的スペシャリストを偏差値で語るのは間違っている。
ドラクエでいうならば、魔法使いに攻撃力を求めることと同じ事だ。
素晴らしい名言!
ありがちなこのようは反論は、集団の傾向と、その中の個々の例を取り違えています。大学の偏差値は入学時のその集団の平均値なのだから、ではそれが意味あるのか、ないのか、という議論をしたければ、評価に使う尺度に関して、集団全体としてどのような傾向を示しているか、ということにかんするデータを参照して議論するべき。「個人的にこういう<外れ>がいる」というのは、あらゆる統計について、当たり前のことで、有効な反論になりません。
これは二つ上にある「り」さんに対するコメントですね。
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いや、私は「大学の偏差値は意味がない」と言っていませんよ。統計データから外れているアインシュタインややねうら王さんの時には大して意味が無いと言っているのです。例えばジョブズを語るときにリード大学中退とかジョブズの価値を話すときにそういう見方はしないでしょ。(経歴としてはそういう話もするだろうけど)
半端者には半端者の道があります。
自分は勉強のプロになりたかったのではなくて人生のプロになりたかったのです。
そのための学習です。
半端者を既知外って言いますけど、字を見てください既知の外なのです。
それは貴方方には未知なものでしょうけど確かに存在するのです。
それを排除すれば未来は停滞にまみれるでしょう。