発端は、橋本崇載八段の次のいささか不可解なツイートから。
<電王戦>将棋ソフトが連勝 118手で山崎八段降す(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
指さずしてわかってた結果。こういうニュース見て誤解しないでほしいのは、彼は将棋で負けたのではなく将棋に似たゲームで負けただけ、ということです https://t.co/UXlvBKvcC0
— 橋本 崇載 (@shogibar84) May 22, 2016
「将棋に似たゲーム」とは何なのだろうか?私には橋本八段の真意はよくわからない。というか、このツイートだけでは誰にも正確にはわからないのではないかと思う。
コンピューターの将棋は異質だと言いたいのか、それとも機械と人間とでは条件的にフェアではないと言いたいのか、計算機に人間が敵うはずがないと言いたいのか、人と人とやるのが将棋本来の姿でありそれ以外は将棋ではないと言いたいのか、それらをわざとぼかして書くことに味があるのか、etc…。
無論、このツイートの本意は、山崎叡王に対する労いの言葉であり、それは橋本八段の優しさが発露したものであるのだとは思うが、だとしてもこのタイミングでそのへんの説明が不足したまま、他の関係者も多くが見ているなかで言うべきではなかったと私は思う。特に将棋ソフト開発者にしても将棋を指せるソフトを長い時間かけて作っているわけで、「将棋に似たゲーム」を指せるソフトを作っているわけではない(つもりである)から、それを「将棋に似たゲーム」と称するのは発言の真意はどうであれ、開発者のコミュニティに爆弾を投げ込むようなものである。
「将棋に似たゲーム」って当人が考える「将棋」との違いはあるのか?
単に俺はそれを将棋と認めんと思ってるだけな気がする。— かず@なのは (@kazu_nanoha) May 22, 2016
将棋に似たゲームで負けただけ、という言い方は命を削って対局した山崎先生にも、身を削ってソフトを作ったポナンザさんにも、失礼なのではないか、というのが僕の考え。
— きむりん(遺伝子組み換えの小六女子) (@kimrin) May 22, 2016
とりあえず、私は上の橋本八段のツイートを「計算機に人間が敵うはずがない(計算機に人間は負けて当たり前である)」というよくありがちな言説だと解釈し(おそらくその解釈は違うのだろうと思いながらも)、そう仮定した上で反論のツイートを書いた。それに、力の限り戦った山崎叡王に対して「あれは将棋と似て非なるものだから負けたことは気にするな」とも受け取れる発言は、山崎叡王に対して逆に失礼ではないかとも思い、そんなことからも私はやや感情的になってしまっていたというのもある。
橋本八段を含め、皆様に覚えておいていただきたいのは、コンピュータ将棋はかつて、プロ棋士からもその強さについては懐疑的に見られてきた歴史があり、「計算機如きに将棋のような複雑なゲームが出来るわけがない。指し手の組み合わせも膨大でコンピュータの計算時間ではとても処理しきれるものでは
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
(承前) ない。プロ棋士が指すような将棋は、人間の知性成せる技である。」と言われてきました。それを近年の機械学習の技術により人間のような局面の価値判断をさせ、探索技術の向上により探索局面数の組み合わせ爆発を極力防ぎ、ここ数年PCのクロック数がほとんど横ばいという状況のなか、
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
(承前) 毎年、前年度のソフトに七割以上勝つという驚異的な速度で進化してきたのは開発者の不断の努力の賜物であり、将棋というゲームが単なる計算に帰着し、それも、かなり高効率で計算出来るものであることを世間に示せたのは(開発者自身も理解に至ったのは)、ここ近年の話だということです。
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
(承前) ゆえに、そういった歴史的認識をないがしろにして、また、「将棋が計算機で非常に高い効率で計算出来る類のゲームであった」という事実認識をすっ飛ばして、「計算機に人間が敵うはずがない」というのは、極めて幼稚な発言だなと思います。(おわり)
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
末尾のツイートで「おわり」とあることからも、上の一連のツイートはここで終わりである。
しかし、これに続けて次のツイートも私はしている。これは上の一連のツイートとは無関係のつもりであったが、これも橋本八段へのツイートと捉えられても仕方がないし、それに関して、言い訳がましいことを言うつもりはない。
私はアマ五段程度の棋力しかないのでプロ棋士が私の棋譜を見て「こんなの将棋じゃないよ」と言われることは多々あるが、プロ棋士はその棋力よりはるかに高い棋力を持つ将棋ソフトに同じことを言われている気にならないのは何故なの?なんでそこが「計算機に勝てなくて当たり前」みたいな残念発言なの?
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
橋本八段、いや、ここでは親愛を込めてハッシーと呼ばせてもらおう。ハッシーは、おそらく「計算機に人間が敵うはずがない(計算機に人間は負けて当たり前である)」と言いたいのではなく、「人と人とやるのが将棋本来の姿でありそれ以外は将棋ではない」と言いたかったのだと私は思う。私はそのことを薄々感づきながら、あえて前者の主張だと解釈して反論した。なぜなら、電王戦のテーマ(ドワンゴの川上会長の考え)が前者に立脚するものであって、タイミング的にもそう解釈されるのが自然だからだ。後者の解釈は、電王戦自体の否定に繋がり、将棋連盟のスポンサーたるドワンゴが運営するイベントの批判を、将棋連盟に所属する棋士がやっているように見えるとまずいのではないかとハッシーの棋士としての立場を少し心配したというのもある。
しかし、よく考えてみれば、私のそんな心配は無用だったのかも知れない。前回の電王戦の最終局でAWAKEの開発者である巨瀬さんを庇って次のようなツイートをしてくれたハッシー。
開発者の人が叩かれていたのは謎。あの角打ちは盤上最悪レベルの手で、反則に等しい。その瞬間に将棋ではないので指し続けろは酷。よくルール知らないけど貸し出しアリでバグ見つかっても修正できないんでしょ?どうしろと。これも自分が開発者だったら怒って帰りたくなる。完全に企画運営のミスです。
— 橋本 崇載 (@shogibar84) April 11, 2015
ハッシーが上のようなツイートをするのは、その立場的にまずいのではないかと思う。でもそんなの気にしないのがハッシー。男らしさのなかに、人に対する優しさが見え隠れしているのがハッシー。
今回のTwitterの一件、私が勝手にハッシーの発言を歪めて(?)解釈して、批判をしたのはすまなかったと思っている。ただ私は発言を撤回する気はないし、ハッシーもまた、釈明も何もする必要はないと思う。見る人が見れば、ハッシーの言いたいことも、その優しさもちゃんと伝わっている。だけどハッシーの発言に、将棋ソフトの開発者としてカチンときたので一言言わせてもらったというだけ。私はハッシーに対して悪い印象は全く持っていない。そのことだけは書いておかないとね。
お疲れ様です。ツイートと投稿をして頂き、有難うございます。月並みな言葉になりますが、私の心に強く響きました。
将棋というゲームの定めかもしれませんが、勝ち負けだけが強くフォーカスされるのは、少し悲しく思います。
開発なさる皆さんの努力や、将棋ソフト、ひいてはプログラミング自体の意義に加えて、自身の人生、時に命をかけて対局する棋士の先生方の能力や将棋を指すことの魅力を含めて、皆さんに知っていただけるといいなと思います。
私は関わるすべての皆さんをこれからも応援します。
いつもご声援、ありがとうございます。
ハッシーに好意的に解釈するのであれば
今の対コンピューター将棋戦はプログラムのバグを見つけるゲームになっていて、盤上の真理を追求する将棋とは別なゲームに負けただけといったところでしょうか
千田先生の研究手順、ポナンザが7手爆弾にハマってしまうというのは驚きました
過去には富岡流やゴキゲン中飛車超急戦など、定跡が整備された戦型に突入してしまい力を出す前に負けてしまうといったことがありました
ポナンザも数年前に24で横歩取り4五角の変化をやり負かされたのを覚えています
不利にならないように定跡手順をいれるのは、これだけコンピューターが強くなった現状でも難しいのでしょうか
> 不利にならないように定跡手順をいれるのは、これだけコンピューターが強くなった現状でも難しいのでしょうか
定跡を手で整備することは出来るのですけど、棋力が高い人が目で確認しながらやるか、ある局面について非常に長い時間かけて探索させるか。前者は高い専門性と高い人件費がかかりますし、後者は非常にたくさんの計算資源が必要になります。ponanzaの開発方針としては、ソフトの棋力を上げていけばそれらのハマり形は自然と解消するだろうという考えのようです。
電王戦に参加してる強豪ソフトって人工知能という括りになるのですか?人工知能を搭載した将棋ソフトがより柔軟な思考を出来るようになったら、格下の棋士をなめてかかったりタイトル保持者だと本気出したり形勢が優勢になったら油断したり劣勢になったら悲観したりするようになるんですかね?常に一律100%で戦うのは人工知能として正しいのでしょうか?
計算資源が一定量しかないときに1000人と対局するとしてなるべく勝率を上げようと思うと、どこかで手を抜いたりしないといけなくなり、それを司るような知能(戦略?)が必要になりますね。いやはや。
橋本八段の発言が傲慢だと言えばその通りなのでしょうけど、
例えば、情報処理学会の「人間を越えたから、コンピューター将棋研究は終了」とわざわざ宣言しちゃったりする行為が将棋というゲームに敬意があるとは思えないのですがどうでしょうか?
IBMもチェスで勝ったらディープブルーを解体しちゃいましたしね。
情報処理学会は、学術的な興味から研究していたところが大きいでしょうから、将棋に特別な敬意を持ってなくても仕方ないかなと…。敬意の強制、イクナイというのが私の考えです。(日本の伝統文化としての将棋とそこに関わる人達に、日本人として最低限の敬意は持っていて欲しいですが。)
菅井七段も橋本八段と似たような発言してますよ。
第26回世界コンピュータ将棋選手権 決勝リーグ
http://live.nicovideo.jp/watch/lv256940788
6時間52分から
菅井七段「違う競技なんですよね自分のやってるのと 同じ将棋でも ルールがちょっと違う気がする」
何分の所で発言したのかは忘れましたが「自分のやってるのは将棋ではない気がする」
「できるかわからないが同じように真似したい」
みたいな発言もしてた気がします(うろ覚え)。
ニコニコ動画にあがってるTAS動画見ると
「俺の持ってるゲームと違う」って感じますが
それと似たような感覚なのかな?って私は解釈しています。
風来のシレンのTAS動画
TAS SFC 風来のシレン テーブルマウンテンクリア in 02:44.64
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3793027
ドラゴンクエストVのTAS動画
【TAS】 ドラクエ5を50分20秒でクリア(前半) 【ボロンゴ技】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16526862
バイオハザード4のTAS動画
【TAS】GC バイオハザード4 in 1:35:14【Part01】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21153918
> 「できるかわからないが同じように真似したい」
> みたいな発言
TAS動画のURLより、そっちの発言のソースのほうがよほど重要なので出来れば見つけてきてくだされ…。
4時間41分ぐらいからの発言ですね。
やっぱうろ覚えだなあ
ところどころ違うw
なるほどなるほど。
真意はわからなくても、人それぞれの解釈に任せますで良いと思います。
現代人は高度な情報化社会の中で生きており、とりあえず結果、結論、答えのようなもの求め、複数の候補があれば1つに絞ろうとしますが・・・。
ですが、将棋ソフトに携わる身としては穏やかな心境ではないことは察します・・・。
橋本八段の発言の意図は何通りにも解釈できますが、
僕は”将棋に似たゲーム” の意味をソフトが指す人間の感覚とは異なる、まさしく人外の将棋のことではないと思いました。
それはソフトのバグ ? を探して勝ちに行くことを指しているのではないかと。確か、橋本八段はAWAKEに例の角を打たせた阿久津八段を非難しており、”将棋” として勝ちに行くのではなく、”バグ ? 探し”で勝ちにいくのを強烈に嫌っていた印象があります。
勿論、将棋と似たゲームのことを「計算機に人間が敵うはずがない」、もしくは「人と人とやるのが将棋本来の姿でありそれ以外は将棋ではない」 と解釈することは可能です。
しかし、橋本八段の以前の発言を考えると、そうではなく
将棋として全力で勝ちに行くのではなく、純粋な棋力では到底勝てないからといってソフトをはめて勝とうとする山崎八段の姿勢を嫌悪し、将棋と似たゲーム (ソフトのバグ探し大会) で負けたと言ったのではないでしょうか?
仮にそれが正しいとすると、橋本八段は山崎八段 (や他のプロ棋士 ) の正面から戦わずソフトをはめて勝とうとする姿勢にこそ怒っているのであって、ソフト (やその開発者) を非難しているわけではないわけで、このように長々と書いてみました。
言葉足らずだったので追記してきます。
橋本さんの発言に対する私の解釈です。
やねうら王さんが考えている通り(身をもって体験されている通り)、将棋対局というエンターテイメントの裏にはものすごい努力が詰まっている。
評価値は将棋の本質の一端ではあるが全てではない。
人の対局には対局心理、勝負術なども存在するし、ソフトは常にバグやハメ手、予期せぬトラブルと隣り合わせで対局している。
評価値を頼りに観戦すると序盤~中盤の入り口で勝敗を決してしまうため別のゲームのように見えてしまったのではないでしょうか。
ハッシーはともかくとして、今後人間とCOMの強さの関係は本当にどうなっていくんだろう。
チェスでは一番強いのはコンピュータじゃなくて、コンピュータと人のタッグだ、という話があるけれど。
やねさん、前「俺にプロ並の棋力があれば研究してCOMに勝てる」と言ってたし、将棋は理論上たぶん先手必勝なんだから、もっともうっとCOMが強くなって、チェスやオセロのようにソフトによる研究と定跡の整備が進めば、人間、つまり千田五段が負けないようになるんじゃないのかな。
という話につなげると建設的な気がする(たぶん既出)。
将棋ソフトが鬼神の如く強くなったとして、そのソフトの指す定跡の形だけならプロ棋士ならばすぐに真似れますね。たぶん記憶するだけでよければ10万局面ぐらいは軽いのでは。しかし将棋は比較的終盤型のゲームなのでそれをしても勝ちになかなか結びつかないという…。
やねうらおさんがカチンと来たと言うのも分かる気もしますね
人が車とレースして負けたって当たり前、人が魚と自由形で勝負して負けたって当たり前などの書き込みも見受けられましたが、今でこそコンピューターに生身の人間の脳で勝てる訳がないと言う人も多くなりましたが
しかしそれもプロ棋士に勝つようになった今振り返るからそう思うのであって
以前はそのようには考えられておらず、如何にコンピューターが高速計算しようが定跡の記憶が完璧であろうがプロ棋士に勝つのは無理、寝言は寝て言えみたいな扱いでした
コンピューターだからプロ棋士に勝てるのは当たり前というわけでは決してなかったのです
Puella α作者の「名人超えた」発言にそんな訳ない!と反応した人も当時は多かったですよね
人が車とレースするようなものだし、そりゃ勝てるかもね、などという反応は見た記憶ないです
ここにきてプロ棋士がコンピューターに勝てないのは前々から自明だったかのように思う人の意識の変わりようの速さに驚きますし、人間って順応性が高いなと改めて感じます
しかし、そもそもはコンピューターがプロ棋士に勝てる訳がない(プロ棋士がコンピューターに負ける訳がない)と思われていた時代が長くあったこと、
技術者・研究者の継続的な努力(40年くらいでしょうか)によってようやく追いつき追い越したということもたまには思い出してもらいたいと思います
長々失礼しました
一方羽生さんは、コンピュータと対戦するなら、プログラムだったらプログラムそのものがどういう風に出来ているかを学習する必要があると言っていて面白い。
http://qiita.com/shibacow/items/7752cd0bc4849ca69f12
最近のインタビューでもその点は、ブレずに喋っており、
羽生善治名人「将棋のAIは未知数」 叡王戦へ決意語る
http://www.asahi.com/articles/ASJ5S61P0J5SUCVL023.html
彼だったら将棋ソフト作るところまでやりそうだなと思いました。
羽生さんの対局中に、やねうらおさんとかが隣について、この局面ではアルゴリズムはこのように評価してますとか、エンジニアがCPUの状態を耳打ちしながら対戦するみたいな試みがあったら面白そうだ。
羽生さんは、「コンピュータが盤上をどう見ているか」みたいなものに興味がありそうだなと思います。
羽生さんはプログラマーとしての素質は十分にお持ちだと思いますよ。まあ、プログラミングの習得には膨大な時間を要しますので、羽生さんにそういう時間の使い方はして欲しくないですけど。
投入されるリソースの問題ではないかと。本来、1人対1人の同じリソースで勝負する筈が、棋士vsAI(開発陣)という構図で、1人対10人、1人対100人みたいな感じになって、フェアじゃない。AI側は膨大なリソースを投入してくるのに、棋士は1人の人間としての限られたリソースだけで対抗しなければならない。そもそも競技とは対等な条件で競い合うのが前提なのに、その公平さが失われているのではないでしょうか?50メートル走なのに、もう片方がバイクとかクルマとかに乗っていたら、もうそれは競技として成り立たないのと同じように、現状の棋士vsAIは競技としての公平さ欠けて、アンフェアな状態になっているのではないでしょうか?少なくとも対等ではない。もしくはそう感じる人が現れている段階なのではないかと。まぁ、それだけAIの完成度が高まったという証なのでしょうが…
> その公平さが失われているのではないでしょうか?
異種格闘技戦みたいなもので、もともと公平な条件など存在しないと思いますけどね。計算資源的には人間の脳のほうが並列計算機としては、いまのPCよりも断然優れているので人間のほうが有利なのですが、将棋というゲームがかなりいまのPCで効率的に計算(?)できるので、PCのほうが人間のトップよりも棋力が上になってしまったというだけで…。
この話題togetterで見て気になってました。
これたぶんやねさんが最後のツイートで言ってる話そのままなんじゃないかと思っています。
>私はアマ五段程度の棋力しかないのでプロ棋士が私の棋譜を見て「こんなの将棋じゃないよ」と言われることは多々あるが
の、「こんなの将棋じゃない」=「将棋に似たゲーム」
なので、
>将棋ソフトに同じことを言われている気にならないのは何故なの?
ハッシーはそういう気になってる、ということではないかなと。
そう解釈した場合、自分たちが(プロ棋士同士で)普段指している将棋が(コンピューターから見ると)すべて「将棋に似たゲーム」ということになり、今回は「将棋に似たゲーム」で負けたのではなく、今回こそが本当の将棋において負けたことになります。
指さずして分かっていたいうとなら、山崎さんは何をしていたと言うのか。ただの道化だとでも言いたかったのか。
自分がその立場になって同じ言葉を言われたいのか、そうならないために途中で負けたのか、ならその対戦相手は茶番につき合わせたのか、ソフトと対戦することに意味や意義を感じないならなぜトーナメントに参加したのか、等々ツイッターの発言観てると考えてしまいました
その後の発言がまた残念に感じられて…(ごめんなさい、サイトに変な発言してしまい)
「我々プロ棋士が普段やってる将棋と違うゲームに見えるくらい強いponanzaに負けるのは前から分かっていた。誰がやっても勝てなかったから山崎叡王を責めないでほしい。」って意味じゃないんですかね
優しい世界。
コンピュータ相手に普通に将棋を指すことはできるし,穴を探してバグつぶしもできるし,いろいろ試して正解ルートを探す遊びもできます。
山崎叡王がどういうつもりで臨んでたかというだけの問題でしょう。
人間相手の駆け引きのようなことはできませんが,そうしたければそのうちできるようになるでしょう。三味線を弾く将棋ソフトとかちょっと嫌ですが。
ソフトに人生を掛けた大勝負のプレッシャーを感じながら指してもらうことができるのかは,哲学的にむつかしい問題です。理屈ではそれっぽい感情のシミュレートは可能なはずですが,それを感情や恐怖というかどうかは解釈問題です。勝負に負けたら消滅させられる将棋ソフトがあったとして,彼?が存在抹消の恐怖を感じながら将棋を指して指運つたなく敗れプロセスキルしてファイルも削除されたとして…でもDVDからソフトインストールしてプロセス起動すりゃ復活しちゃいますし。
> 三味線を弾く将棋ソフト
麻雀AIだと間違いなく有効でしょうね。
人間自体がDNAで表現されたプログラムの一種にすぎない
だからプログラムよりも人間が優れている面があったとしても人間のDNAのプログラムが優れていることの証明にしかならない
(人間がプログラムにできないことをしているわけじゃない)
という考えに至ったのですがいかがでしょうか?
> 人間自体がDNAで表現されたプログラムの一種にすぎない
人間は、DNA(≒プログラム)によって生成された成果物(学習の出来るハードウェア)なのでは。また、原生動物と違って、ニューロン間の結合は人間の場合、DNAには書かれていませんから、そこは後天的に結合したわけで、その結合こそがプログラムに相当するものではないかと思うんですけどね。
シナプスは条件分岐あたりでプログラムはやっぱりDNAなのかもとも思ったり。
DNAにはまだ親でも使いきれてないプログラムの部品も存在して、親が出来ないことを子がやってのけるのは、父のDNAと母のDNAをうまく結合すると出来るようになることが存在するとか、親が簡単に出来たことが子は全く出来ないというのは、子に半分のDNAを渡すときに枝刈りされてしまったとか、そんなことなんだろうなと思ってた。
TensorFlowとかで画像認識をさせようが、音声認識をさせようが、結局はニューロン間の重みを学習しているだけなのですが、世間的には「画像認識プログラム」と「音声認識プログラム」とは別のものを想像すると思うので、結局はニューロン間の重みこそが、世間で言うところの「プログラム」なのかなと。
「将棋に似たゲーム」をするのが趣味の者です。
「将棋に似たゲームに負けて」も、人間の負けに
変わりはなく、日本将棋についての人間の敗北と、
同じだと私は思います。
”どうやって人間がそれぞれのゲームに熟達する
のか”という点に関して。将棋と、将棋に似たゲーム
との間で、大差がないと、私は思うからです。
将棋を超えた将棋、それが「将棋に似たゲーム」だとしたら、「将棋に似たゲーム」を超えた将棋が「将棋に似たゲーム2」で、これを無限に繰り返していくと、神様と指す将棋になるという…。
現実には。
「中将棋に似たゲームであるところの日本将棋の
ソフトで、名人戦順位戦A級クラスのプロ棋士すら
もが勝てなくなってきたので。中将棋でも、最強者に
勝てるコンピュータソフトを作るのは、もう不可能では
ない」だろうと、現実認識されています。日本将棋の
コンピュータソフトとおおまかな考え方で、同様に作ら
れた、Hachu将棋のうちの中将棋部分。かなり強い
んですね。
Hachu将棋。完璧にルール通り。人間側が駒を
動かせないという、致命的な欠陥(笑)があるため。
ネット社会では、このソフト。ほとんど話題になって、
いないだけなんです。そこで中将棋指しの、「近い
ゲームで、ソフトが強くなったので、自分達も、もう
ダメだろう」という潔い表明を聞くと。日本将棋の
橋本崇載八段の姿は。それに比べてだいぶん、
往生際が悪いのではないかと、私は感じます。
なお、Hachu将棋でも。既存の棋譜データベースが
全く存在せず。ボナンザメソッドが使えなかったものと
推測される、後期大将棋等、他の将棋種については。
中将棋部との間に、棋力につき格段の開き(弱い)
が生じているようです。
Hachu将棋というソフト名は初耳です。中将棋が指せる将棋ソフトって凄いですね…。
確かにマイナーな話ですね。
wikipedia の”コンピュータ将棋”の7.2の”プログラマーツール/WinBoard”の「付けたし」のところ位でしょうかね。
ちゃんと日本語でHachu将棋が紹介されているのは。
例えば車と人が100M競争してどっちか勝つかとか
例えばロボットと人間が早食いで競争してどっちが勝つか
作業が簡単な競技で言えばロボットと人間の力の差は
圧倒的で誰も見ようとはしないと思う。
そして作業が難しい競技ですらロボットが圧倒的に強くなった今
人間はロボットに対しても完全に別の存在だと思って
相手にしなくなるって事なのではないかと思います。
電王戦が終わった後、しばらく目を離している間にこんな面白い「盤外戦」が起きていたとは…
橋本八段のツイートにある「将棋に似たゲーム」、確かにいろいろな解釈ができますが(というか意味不明)、山崎叡王はソフトの弱点を突こうとする指し方はしなかったので、そういう指し方のことを「将棋に似たゲーム」といって(批判して)いるわけではないでしょう。
「指さずしてわかってた結果」と前置きしている以上、最早どうやっても勝てないと思っているということでしょう。他の方のコメントでも車のたとえが出ていますが、「将棋に似たゲーム」というのは、「車と競走するのは100M競走ではない。それは100M競走に似た競技」と言っているのと同じ意味なのでは。つまり、やねさんの最初の解釈(計算機に人間が敵うはずがない、人と人とやるのが将棋)の通りだと思います。
だとすると、橋本八段のツイートは完全な敗北宣言に等しいですね。…ということで、まとめていい気がします。
戦った山崎叡王や今までコンピュータ将棋の進歩に力を尽くしてきた開発者たちに失礼だというみなさんの感想に、まったく同感。このツイートを、山崎叡王を労う橋本八段の優しさだと説明するのは、やねさんの優しさですね。
電王戦自体が「ハンデ戦」と言われたり、ソフトの弱点を突く指し方をして勝っても評価されなかったり、でも結局、一般社会は勝敗の数字しか見ていなかったり…確かに現状はプロ棋士にとって厳しいものがあります(戦う時期が遅れたツケではありますが)。しかし、コンピュータ将棋と人間の関係はもう次の段階に移りつつあるように思います。
最近にわかにコンピューターと人間の将来の問題についてマスコミが取り上げることが増えていますが、この問題について専門家以外で比較的よく理解できているのは、この何年か電王戦を見続けてきた(わりとコアな)将棋ファンなのではないかと思います。それだけでも電王戦の意義はあったと言っていいのではないでしょうか。
橋本さんにとって将棋とは盤上だけの勝負ではなく、相手の心理を読んだり、自分の精神をいい状態に保ったりといったことも含めての戦いなのでは。
だから盤上だけで勝負するソフトの将棋を「将棋に似たゲーム」と表したのではないしょうか。
盤上で不利になったとき、人同士の戦いであれば、怪しい手を放って相手の心を揺らしたりして心の強さを含めた勝負にもっていくこともできるが、ソフトにこういう勝負を仕掛けることはできない。
人同士の将棋には必ずある要素が、ソフトの将棋にはないということではないでしょうか。
(ソフトの将棋は、彼がこれまで経験してきた将棋(=彼の考える将棋)とは違うという意味)
自分は橋本さんのツイートをこう解釈すると違和感なく理解できました。