将棋が大規模定跡によって先手必勝まで到達するのも時間の問題であろう。
ここで言う先手必勝と言うのは、将棋AIの評価値で400ぐらいのことを指していて、詰みまで読み切っているという意味ではないし、また、評価値400ぐらいだと人間同士の対局ではまだ一波乱も二波乱もありうるぐらいの形勢なので、AIの世界で定跡で先手必勝が証明されたところで人間の対局にはさほど影響しないと思う。(と書いておかないとコメント欄で発狂する人がおるんやで…)
それで、「そうなった時に後手はやることがないんじゃないか」という疑問をよく見かけるし、私自身も後手でどうしていいのかはあまり自信がないのだが、一部の将棋AI開発者はそうは考えていないようだ。
と言うのも、将棋AIの大会では、持ち時間が限られているので、わりと容易に間違えるからである。
例えば、今年の1,2月に開催されていたハードウェア統一戦の棋譜でGrampus VS 水匠の対局に次図の局面がある。

後手の水匠はこの変化を定跡で選んで勝っている。先手のGrampusは、本図の局面で同銀としてしまう。
私の新ペタショック定跡(いま生成している大規模定跡)では、先手は81角成が正解で、評価値+255。86銀が次善手で-91。同銀は3番目の候補手で-335。つまり先手は81角成で先手優勢を維持できていたはずの局面だ。
本譜の同銀は、たった一手で評価値を 255 – (-335) = 590も失ってしまう大悪手なのである。
世間の将棋AIのイメージでは、将棋AIは頓死したりはせず、負けるときもじわじわ負けるイメージがあるかと思う。確かに人間に比べると頓死率は低いと思うし、評価値を一手でそんなに落とす指し手は少なくと思うが、それはあくまで人間と比べた場合だ。
短い時間だと大悪手を指すことはあり、2番目の指し手なら指せるというわけでもない。(本局面で同銀は3番目の指し手。) そして、評価値を590も落とす指し手は選ばないというわけでもない。
将棋AIの大会では、モンスターマシンを持って臨んだとしても、定跡なしではこのような大悪手を指しかねないのである。(本大会は統一ハードウェアで行われ、CPUは96コアというかなりのモンスターマシンであった。このようなモンスターマシンであっても、短い持ち時間だと上位の将棋AIですらこのような大悪手を指す。)
そして、水匠側はそのことを見越してこの変化を選んでる。
水匠開発者であるたややんさんが本定跡について言うには、
このときの戦略として、1. floodgateに前例がない、2. 定跡未搭載の水匠が間違えやすい(勝率が低い)という基準で後手番定跡を作成したので、狙い通りではあります!ハードウェア統一戦は途中でデータを入れ替えられないので、この戦略で、めちゃくちゃ勝てましたね。
とのことである。
確かにその狙い通り、本大会(第3回世界将棋AI電竜戦ハードウェア統一戦)で、水匠は優勝している。
そんなわけで、後手番の作戦としては、 (floodgateなどで)前例がない局面で、現代の最新ソフトで大会の持ち時間において間違えやすい局面を探す。そして、その局面から定跡を深くまで掘っておく。
という作戦が有力のようである。
先手の定跡さえ抜ければ、先手がこのように間違えてくれるならば、後手にとってこの戦略はかなり有効だと言えるだろう。
そして先手としてもこれには対策がしにくい。その局面は先手良し、あるいは先手必勝と思っているのでそこで定跡を打ち切っているのが普通であるから。
定跡で先手必勝(評価値400)になったところから後手がどのように指しても先手は間違えずに指せるような強い将棋AIが完成するまでは、“先手必勝定跡”は先手必勝ではないのかも知れない。
むしろ、先手が必勝な激強AIが「完成」しないと、後手側用の定跡を正しく作り始められない気がしてきたw