『コンピュータ将棋-天才たちが紡ぐドラマ』が本日発売

松本博文(mtmt)さんの『ドキュメント コンピュータ将棋 天才たちが紡ぐドラマ (角川新書)』が本日発売であります。

mtmtさんからのインタビューのときのやりとりを少し書いておきます。

私「将棋が好きすぎて(生活基盤が)おかしくなった人って多いですよね。mtmtさんにしても東大の法学部出て、なんでこんな仕事してるんですか!(笑) 生活していけるんですか!?」
mtmt「それはまわりからも結構心配されてます(笑) でも、いまのところ大丈夫です。」
私「それは良かったです。本の売上が上がるようにうちのブログで紹介しといてあげるですよ。」
mtmt「いつもありがとうございます。m(_ _)m」

そんなわけでmtmtさんの生活水準の向上のためにじゃんじゃか紹介させていただきます。(こういう書き方すると逆効果だったりして…)

前著『ルポ電王戦』では「天才」という言葉は意図的に禁止されていたそうなのですが、今回はタイトルに持ってきてあります。このタイトルは編集者さんによるものだそうです。

そして出ました!「天才やねうらお」 天才と言う言葉を封じていた、mtmtさんに「天才やねうらお」と言わしめる、この天才っぷり!

「やねうらお」が「天才」だということを疑ってやまない人がいまだいるでしょうけども、私もいまだ信じてはおりません。(笑)

私は小学生のとき知能テストですこぶる高いスコアを出して、中学になると鳴り物入りで特殊な進学塾に入れられたものの、記憶力が人並みより少し良い程度(学校で上位10%に入れるかどうかレベル)しかなく、千人に一人いるかいないかレベル(東大のなかの上位10%ぐらいのレベル)の生徒ばかりを集めたその塾では速攻落ちこぼれであります。塾のなかでは底辺オブ底辺。いまにして思えば、「よくそんな塾、入れたな!」という感じであります。

私の人生を狂わせるきっかけとなったあの忌々しい知能テストも「ああ、ここは吸収律だよなぁ。ここは、排中律だし。」とブール代数や高校程度の数学を少し知っていれば容易に答えられるような問題がたくさんあり、そのせいでたまたま高いスコアが出たのかも知れません。というか、そう自分を納得させなければ、生きてこれなかったというのが本音であります。

私がまわりとの違いを感じ始めたのは、社会人になってからで(それまでまわりのことにはまったく関心がなかったので…)、「あれ?みんなこんなことが出来ないんだ?」と思うことが多々あり、ビジネスシーンでの成功体験を積み重ね、(社会人になってから)20年近くを経て「やっぱり、自分は天才なんじゃないか?そう信じて生きてみよう!」とようやく最近にして思うに至ったのであります。

本来、そういう「自分探し」は中学生ぐらいのうちに終わらせておくべきなのですが、何の因果か私はいまだに自分探しが終わらないのであります。

まあ、東大法学部を出て、将棋観戦記者なんて仕事をされている人もいることですから(笑)、人間、好きなことを好きなだけやって死んでいけたら、それが一番幸せなのではないかと思うのですよ。

『コンピュータ将棋-天才たちが紡ぐドラマ』が本日発売」への10件のフィードバック

  1. やねうら王様の「天才ですから」発言に過剰に反応する人もいるので、難しいところですね

    某番組で「自分のことを”上の上”と言う美女いない説」をやってましたが、一般の美女は「中の上」とか言いやがるのに、モデルはほとんど「上の上」と答えてました

    謙遜するのが美徳とされる日本で、冗談めかしてでも天才と言って叩かれるやねうら王様を尊敬します

  2. 定量的に書けばいいんですよ。「1000人に1人のビジネスの天才(収入で決める?)」とか、「10000人に1人のプログラミングの天才(その人が書いたプラグラムの使用された総量で決める?)」とか。

  3. その本は角川新書なんですね。
    ドワンゴと角川は経営統合したから北海道での電王戦のインタビューあたりで思いっきり宣伝してあげるとか

  4. 周りがバカだとは思わずに、自分が天才だと思うあたりとても健全だと思います。

  5. 子供のころ、大人はなんてすごいんだ、追いつかなきゃ。と思ったもんですが、ネット見て愕然としましたよ。
    子供ばっかですもん。
    なので、一部の話の分かる人捕まえて愚痴ることにしました。
    名誉なことにやねさんもその一人で気苦労が類推されます。
    自分、精神疾患持ちなので独り言なら負けませんよ~~。
    まぁ、そういうわけであきらめてください(なにを?)

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